2006年11月25日(土)
バイ・マイ・サイ [今もそこにある光]
by my side
訳すと「傍にいて」となるのだろうか。
マイミク・冬ッちの影響もあり聞き始めたRADWIMPSの新曲「セツナレンサ」のカップリング曲「バイ・マイ・サイ」。
正直、英語詞な為、詞の内容を完全に理解することは出来ていないのだが、サビの部分で繰り返し歌われるこの「by my side」のメロディーが物悲しく、自然と目頭が熱くなる。
「傍にいて」
一緒に暮らしていつも一緒にいたい。と願わないこともないが、本当に望むものは『心』。
『心』の繋がりだ。
遠距離ばかりしている所為か、求めるのは体ではなく、心になる。
離れている分、逢えば体を求め合わないわけではないが、逢えない時間と距離を繋ぐのは、やはり『心』なのだ。
『心』と『心』の繋がりで離れていても傍にいることを感じる。
目に見えない『心』の繋がりで傍にいることを感じるのは難しいことかも知れない。やはり、見えないと云うことは心細いものだ。
その確認手段として、メールがあったり、電話があったりするのじゃないだろうか。
メールの文面から、電話の声から想いを感じ、繋がりを感じる。
毎日電話で愛を確かめ合うなンて、羨ましい限り…。
by my side…
オレは君の傍にいたい。
Posted by 源九郎 at 18時17分